1: :2016/01/25(月) 17:14:19.15 ID:
日本の大学の最高峰である東京大学と京都大学。昨年4月に総長に就任し、改革を推進する五神真東大総長と、
ゴリラ研究の第一人者で「おもろい」大学づくりを目指す山極寿一京大総長が、国立大学の人文社会学系学部
廃止騒動について持論を語った。
* * *
――昨年、文部科学省が“人文社会系の廃止”を求める通知を大学に出して話題になりました。
山極:自然科学系は国際的発信力が強いが、人文社会系は停滞しているから縮小してもいいんじゃないか、
という意見が産業界から出て、国がそれに乗っかった側面があると思います。しかし、既に人文社会系は
かなり縮小されてしまっています。たとえば京大の人文社会系の教員数は全体の2割に満たない。
学部は全体の半分もあるのにですよ。しかし、いくら科学技術が進んでも、それを使って社会をどう動かすか
という舵(かじ)がないと、日本の国力にとってすごく大きな損失になると思います。
五神:科学技術、たとえば人工知能が進歩したとしても、それを使うのは人間で、人間とつながって
初めて価値になる。これからの社会では、人文社会系が培ってきた資源を維持したうえで、
さらに文系と理系を融合した新しい学問を作っていくことが問われています。
それは、人文社会系をどうこうするというのとは文脈が違う議論です。
山極:京大の東南アジア研究センターには、かつてアウンサンスーチーさんが研究員として所属していました。
戦中には李登輝さんもいた。アジアの国々は、日本の大学の学術に親近感を持っています。日本の大学で学んだ
人たちが自分たちの国に帰ってエリートとして活躍するというのは、人文社会系学部のほうが大きな価値を
持っている可能性がある。それをつぶしてしまうことは、日本にとって大きな可能性を断念するものだと、
私は非常に危機感を覚えています。
五神:まったく同感ですね。人類全体がこれからどういう社会システムを作ればいいかが見えなくなっている中、
人文社会系の学問は活力になります。世界のオピニオンリーダーの人たちは日本の文化、学術に関心を
持っていて、日本が活躍する場所はそこにある。その芽を摘んでしまうのは明らかに向きが間違っています。
先日、私と同じ物理を研究されている東大の梶田隆章先生がノーベル賞を受賞されましたが、
日本ではああいった基礎研究、しかもお金がかかる実験研究を40年近くも続けています。
また、それに対する世界からの尊敬や信頼があります。
山極:僕はアフリカで長く研究していたからわかるんですが、大使館職員など日本の外交筋は2、3年で
代わるけれど、僕ら研究者は20年、30年と代わらず現地の人たちと緊密な関係を結んでいます。
その永続性は我々が保持しないといけない。これは貴重な財産だと思います。
五神:たしかに大学はタイムスケールが長いものを担っていますよね。最近、研究の活動を評価するのに
「過去5年間の著作・論文の被引用数」を目安にするという基準があります。生物系など競争の激しい分野では、
2~3年で引用されないと「いい研究じゃない」といわれます。しかし、山極先生が研究されている霊長類学
などはスパンがずっと長いですよね。人文社会系に至っては、既に生きていない研究者の何百年前の論文を
引用することもあります。人文社会系は、そういう評価基準では測れない学問なんです。
※週刊朝日 2016年1月29日号より抜粋
http://dot.asahi.com/wa/2016012200031.html
東大総長・五神真
京大総長・山極寿一
前スレ(★1が立った日時:2016/01/25(月) 09:00:56.72)
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1453697997/
ゴリラ研究の第一人者で「おもろい」大学づくりを目指す山極寿一京大総長が、国立大学の人文社会学系学部
廃止騒動について持論を語った。
* * *
――昨年、文部科学省が“人文社会系の廃止”を求める通知を大学に出して話題になりました。
山極:自然科学系は国際的発信力が強いが、人文社会系は停滞しているから縮小してもいいんじゃないか、
という意見が産業界から出て、国がそれに乗っかった側面があると思います。しかし、既に人文社会系は
かなり縮小されてしまっています。たとえば京大の人文社会系の教員数は全体の2割に満たない。
学部は全体の半分もあるのにですよ。しかし、いくら科学技術が進んでも、それを使って社会をどう動かすか
という舵(かじ)がないと、日本の国力にとってすごく大きな損失になると思います。
五神:科学技術、たとえば人工知能が進歩したとしても、それを使うのは人間で、人間とつながって
初めて価値になる。これからの社会では、人文社会系が培ってきた資源を維持したうえで、
さらに文系と理系を融合した新しい学問を作っていくことが問われています。
それは、人文社会系をどうこうするというのとは文脈が違う議論です。
山極:京大の東南アジア研究センターには、かつてアウンサンスーチーさんが研究員として所属していました。
戦中には李登輝さんもいた。アジアの国々は、日本の大学の学術に親近感を持っています。日本の大学で学んだ
人たちが自分たちの国に帰ってエリートとして活躍するというのは、人文社会系学部のほうが大きな価値を
持っている可能性がある。それをつぶしてしまうことは、日本にとって大きな可能性を断念するものだと、
私は非常に危機感を覚えています。
五神:まったく同感ですね。人類全体がこれからどういう社会システムを作ればいいかが見えなくなっている中、
人文社会系の学問は活力になります。世界のオピニオンリーダーの人たちは日本の文化、学術に関心を
持っていて、日本が活躍する場所はそこにある。その芽を摘んでしまうのは明らかに向きが間違っています。
先日、私と同じ物理を研究されている東大の梶田隆章先生がノーベル賞を受賞されましたが、
日本ではああいった基礎研究、しかもお金がかかる実験研究を40年近くも続けています。
また、それに対する世界からの尊敬や信頼があります。
山極:僕はアフリカで長く研究していたからわかるんですが、大使館職員など日本の外交筋は2、3年で
代わるけれど、僕ら研究者は20年、30年と代わらず現地の人たちと緊密な関係を結んでいます。
その永続性は我々が保持しないといけない。これは貴重な財産だと思います。
五神:たしかに大学はタイムスケールが長いものを担っていますよね。最近、研究の活動を評価するのに
「過去5年間の著作・論文の被引用数」を目安にするという基準があります。生物系など競争の激しい分野では、
2~3年で引用されないと「いい研究じゃない」といわれます。しかし、山極先生が研究されている霊長類学
などはスパンがずっと長いですよね。人文社会系に至っては、既に生きていない研究者の何百年前の論文を
引用することもあります。人文社会系は、そういう評価基準では測れない学問なんです。
※週刊朝日 2016年1月29日号より抜粋
http://dot.asahi.com/wa/2016012200031.html
東大総長・五神真
京大総長・山極寿一
前スレ(★1が立った日時:2016/01/25(月) 09:00:56.72)
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1453697997/
18: :2016/01/25(月) 17:27:34.33 ID:
理系が生産しそれを文系が消費する
これじゃダメなの?win-winでしょ
これじゃダメなの?win-winでしょ
33: :2016/01/25(月) 17:37:14.44 ID:
理系はモノから派生する物体を相手にする。
文系は人間の生活から発生する事を相手にする。
大雑把に言って、この違いだろ。
ゆえ、理系が経営の中心になったら、技術の日産を標榜したかつてのクルマ作りみたいになって、
ドライバーがなんだかよくわからんってクルマになって、時代の先端を行ってるつもりが、全く役に立たんものを作ったりする。
そういう意味なんだろうけど、人文学って、無くてもいい気がする。
文系は人間の生活から発生する事を相手にする。
大雑把に言って、この違いだろ。
ゆえ、理系が経営の中心になったら、技術の日産を標榜したかつてのクルマ作りみたいになって、
ドライバーがなんだかよくわからんってクルマになって、時代の先端を行ってるつもりが、全く役に立たんものを作ったりする。
そういう意味なんだろうけど、人文学って、無くてもいい気がする。
43: :2016/01/25(月) 17:44:14.84 ID:
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文系理系というより
体育会系が、日本社会の中枢を握った時期が高度成長期と重なった
体育系の欠点は論理ではなく精神論で経営し、最後は根性だせば勝てるという思考
なぜこうなったかといえば、団塊世代の多くが武装左翼や左翼的なものに
シンパシーを感じてた、だから労働組合が盛んに活動をし 実際強かった
優秀な人材がマルクス・レーニン主義に傾倒し、資本主義社会を毛嫌いしてた
だからこそ、まったく左翼に染まらなかった一部の体育会系が無能な者でさえ企業で優遇され
最終的には実質的な企業の支配的階層になったからだよ
体育会系はうまく歯車が回ってるときは効率的な組織になるけど
上手くいかないときは、上が下に責任転嫁しはじめるし
責任をとらなくなる、業績だとかじゃなくて上下関係の面子だとか
感情のほうを重んじるようになるからな
体育会系ってのは、結局は無能な働き者だから 上に立つような器じゃないんだよ
下っ端の切り捨て要員が適任なんだからな
体育会系が、日本社会の中枢を握った時期が高度成長期と重なった
体育系の欠点は論理ではなく精神論で経営し、最後は根性だせば勝てるという思考
なぜこうなったかといえば、団塊世代の多くが武装左翼や左翼的なものに
シンパシーを感じてた、だから労働組合が盛んに活動をし 実際強かった
優秀な人材がマルクス・レーニン主義に傾倒し、資本主義社会を毛嫌いしてた
だからこそ、まったく左翼に染まらなかった一部の体育会系が無能な者でさえ企業で優遇され
最終的には実質的な企業の支配的階層になったからだよ
体育会系はうまく歯車が回ってるときは効率的な組織になるけど
上手くいかないときは、上が下に責任転嫁しはじめるし
責任をとらなくなる、業績だとかじゃなくて上下関係の面子だとか
感情のほうを重んじるようになるからな
体育会系ってのは、結局は無能な働き者だから 上に立つような器じゃないんだよ
下っ端の切り捨て要員が適任なんだからな